前職のビルメンテナンスの取引は、3月に更新して、4月から新しい契約が始まる形でした。
見直しの提案は、必ず12月までに出していました。理由はシンプルで、クライアントが来年度の予算を組む時期だからです。
3月になって「4月からお願いします」と言っても、相手の予算はもう固まっています。担当者がどれだけ理解してくれても、枠がない。第7弾の「稟議に添付できる提案書」も、予算編成に間に合ってこそ生きるのです。
指針の⑨「値上げ要請のタイミング」は、定期的な価格交渉の時期や業界の定期交渉期など申し出やすいタイミング、発注者の繁忙期など交渉力が比較的優位なタイミングを使うよう求めています。そこに私は、「相手の予算が固まる前」を加えたいと思います。
御社の主要な取引先は、いつ予算を決めていますか。まずはそこから逆算してみてください。
先に伝える。それも「仕様変更とセットで」伝える
指針の⑩は、発注者から価格を提示されるのを待たずに、自ら希望する額を提示することです。
理由も明記されています。発注者に先に価格を出されてしまうと、それ以上の額を求め、交渉で実現するのは非常に難しくなると考えられる、と。だから、待たずに自分から出す。
指針には、私がいた業界の事例も載っています。毎年4月に多くの発注者と契約を更新する際、自社がある都道府県の最低賃金の上昇率と同じ率の単価引上げを、自ら求めているビルメンテナンス業者です。
前職では、ここにもうひと工夫していました。それは、「単価だけを上げる提案は、しなかった」です。
内容が同じままだと、どうしても「単なる値上げ」と受け取られます。そこで仕様そのものを見直し、下げる部分、上げる部分、そのままの部分を組み合わせて、その中に労務費の上昇分を織り込みました。
すると、相手が考えるのは「値上げを受け入れるかどうか」ではなく、「どの仕様にするか」になります。話し合いの土俵が変わるのです。

例えば製造業なら、ロットサイズ、納期、荷姿、納品仕様など、価格や製品設計以外にも約束事があるのではないでしょうか。そしてこれらは、取引が始まったあと、先方のリクエストに応じる形で、少しずつ重くなっていくものです。だからこそ、見直しのたびに仕様を棚卸しする意味があるのです。
「現状維持で」と言われたら
いつもうまくいくわけではありません。クライアントから先に「現状維持で」と指定されることもありました。
そんなとき、私が打った手は3つです。
① 組み合わせを変える。スポット提案と定期提案を組み合わせたり、発注時期を変えたりする
② 担当者に相談する。「どんな方法があるでしょう?」と、先方の社内手続きが通りやすい方法を一緒に考える
③ こちらから譲歩・提案する。一部の作業は「来年は、いったん無料でやりましょう」「今回は見送りましょう」と申し出て、無理な形では受注しない
2つめは、第7弾でお話しした「担当者は敵ではない」の実践です。3つめは、関係を切らずに次の見直しへつなげながら、無理な形では受けないという線引きでもありました。
なお、協議の要請に応じず一方的に価格を据え置くことが問題になり得る点は、第7弾で詳しく書いています。
協力会社の分も、乗せる
⑩には続きがあります。要請額を決めるときは、自社の労務費だけでなく、自社の発注先やその先の取引先の労務費も考慮すること。
前職でも、協力会社の労務費の上昇分は、もちろん要請額に乗せていました。
公正取引委員会が今年3月にまとめた資料では、要請受諾率などの指標は取引の層が深くなるほど低く、中小企業どうしの取引では転嫁がまだ十分に進んでいないとされています。労務費の要請受諾率は、需要者から製造業者等への取引で68.9%。それが一次受注者から二次受注者で62.3%、二次から三次では56.6%まで下がります。
同じ資料は、サービス業についても触れています。元請からクライアント(需要者)への転嫁が十分に進んでおらず、その先の受注者からの転嫁を受け入れる原資が足りていない様子がうかがえる、と。
自社の分だけ取れても、協力会社が人を確保できなければ、品質も納期も守れません。協力会社の分まで乗せるのは、わがままではなく、現場を守る責任です。
ひとりで抱えないために
残る2つにも触れておきます。
⑧「根拠とする資料」は、最低賃金の上昇率などの公表資料を使うこと。集め方は第6弾でお伝えしました。
⑦「相談窓口の活用」について、指針はよろず支援拠点の価格転嫁サポート窓口、取引かけこみ寺、商工会議所・商工会などを挙げています。大阪府内の企業なら、府の令和8年度中小企業価格転嫁支援事業で、診断士を派遣する伴走支援や無料のセミナーも用意されています。
ちなみに、先ほどの公取委の資料には、こんな数字もありました。労務費転嫁指針を知っていた受注者は、知らなかった受注者より、労務費を理由に取引価格が引き上げられた割合が16.5ポイント高い傾向にあった、というものです。
もちろん、知っていれば必ず上がる、という話ではありません。それでも、知らないままで臨むより、知って臨むほうがいい。それだけは確かです。
その学びの場に、私も登壇します。
価格転嫁支援事業セミナー(主催:大阪府中小企業団体中央会/共催:株式会社商工組合中央金庫大阪支店)
日時:2026年10月6日(火)14:00〜16:00 ※終了後に個別相談会
会場:マイドームおおさか 8F 第3会議室(大阪市中央区本町橋2-5/地下鉄「堺筋本町駅」「谷町4丁目駅」から徒歩7分)またはオンライン
第1部:取適法の概要、価格転嫁・取引適正化のルール等について(公正取引委員会事務総局 近畿中国四国事務所 第一取引適正化調査課 山本雅博氏/30分)
第2部:価格交渉の手順、根拠資料の作成方法等について(仮)(中小企業診断士 山本哲也〈筆者〉/75分)
第3部:商工中金経済研究所の活用について(商工中金担当者/15分程度)
参加費・締切:無料/2026年10月2日(金)締切
▶ お申し込みフォームはこちら / ▶ 詳細(中央会のお知らせ)
価格交渉に悩むご担当者に、いま伝えたいこと
最後に、いま受注側で悩んでいる方へ。
私がいちばん大事にしてきたのは、クライアントの役に立つことです。QCD、つまり品質・コスト・納期を良くすること。そして、私たちのビジネスが続いていくこと。その実現に全力を注いで、提案を考える。
値上げの提案も、その中のひとつにすぎません。仕様の見直しで「下げる部分」をつくったのも、クライアントのコストを良くするためです。
「役に立つ提案」の中に、労務費がきちんと入っている。
それが、私のやり方でした。
先送りはやめましょう。 4月更新の取引なら、年内が勝負です。今週、ここから始めてみてください。
① 取引先ごとに書き出す。「契約の更新月」と「相手が予算を組む時期」
② 仕様を仕分ける。今の仕様を「下げる・上げる・そのまま」に分けてみる
③ 協力会社に聞く。この1年で、労務費がどれだけ上がったか
どれも、ひとりで抱えるとしんどい作業です。ペースメーカーや壁打ち相手が必要なら、声をかけてください。
よくあるご質問
値上げの提案は、いつ出すのがよいですか?
指針は、1年に1回や半年に1回など定期的に行われる価格交渉のタイミング、業界の定期的な価格交渉の時期など申し出やすいタイミング、発注者の繁忙期など交渉力が比較的優位なタイミングを挙げています。これに加えて私がおすすめしたいのは、相手が来年度の予算を組む前です。4月に契約が切り替わる取引なら、年内が目安になります。
単価だけを上げてほしい、と伝えるのはよくないのでしょうか?
問題はありません。指針も、公表資料を用いて受注者が示した希望価格は、合理的な根拠のあるものとして尊重するよう発注者に求めています。ただ私の経験では、仕様が同じままの値上げは「単なる値上げ」と受け取られやすいのも事実でした。下げる部分・上げる部分・そのままの部分を組み合わせると、話し合いの中身が「受けるか断るか」から「どの仕様にするか」に変わります。
取引先から「現状維持で」と言われたら、もう打つ手はありませんか?
あります。スポット提案と定期提案の組み合わせを変える、担当者に社内で通りやすい方法を相談する、一部の作業をこちらから見送る、といった手が残ります。なお指針は、受注者から協議の要請があったにもかかわらず応じず一方的に価格を据え置くことは、取適法上の「協議に応じない一方的な代金決定」として問題となるおそれがある、と明記しています。
協力会社(外注先)の労務費上昇分まで、要請額に含めてよいのですか?
含めてよい、というより含めることが指針の求める行動です。受注者の行動⑩は、発注者に提示する価格を決める際、自社の労務費だけでなく、自社の発注先やその先の取引先における労務費も考慮することとしています。
10月6日のセミナーは、オンラインでも参加できますか?
できます。会場(マイドームおおさか 8F 第3会議室)とオンラインのどちらでも参加でき、参加費は無料です。申込締切は10月2日(金)で、セミナー終了後には個別相談会も予定されています。詳細と申し込みは、大阪府中小企業団体中央会のお知らせページをご覧ください。
※本コラムは2026年9月時点の公表資料に基づいています。制度の詳細および最新情報は、内閣官房・公正取引委員会および中小企業庁の公表資料をご確認ください。個別の事案が法令違反に当たるかどうかの判断は行政が行うものであり、本コラムは一般的な情報提供を目的としています。
※主な参照資料:内閣官房・公正取引委員会「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」/公正取引委員会「適正な価格転嫁の実現に向けた取組」(令和8年3月9日)/大阪府中小企業団体中央会「【10/6開催】価格転嫁支援事業セミナーの開催について」






